時間という概念について考えてみる。これも人が勝手に決めたものだ。時計がない世界だったとしたらどうなるだろう。私たちは何かしら、そこに空間があって、そしてそこで生きているだけ。人生に長いも短いもない。ただそこには命があって、そしてそれが生まれては消えていく。ただそれだけ。人と人とのコミュニケーションの中での喜怒哀楽はあるだろう。命が生まれ喜び、そして命が消え悲しみ、喜ばれる命、悲しまれる命、いろんな命があれど、やがて生まれては消えていく。

そこに残るのは綺麗な花だったかどうか、それだけではないだろうか。喜ばれる命だったかどうか、それだけではないだろうか。人の心に残る花だったかどうか、それだけではないだろうか。綺麗な花は記憶に残る、心に残る。そうでないものは記憶に残らない、心に残らない。だからって綺麗な花でないといけないということでもない。何が綺麗かも人それぞれ違うかもしれない。

ただだれが見ても綺麗なものというものはあると思う。本質をついているものだ。本質が人を魅了する。だからって本質でないといけないということでもない。けれども本質であるほうが随分生きやすいように思う。ただ本質でないといけないということでもない。最終的に、どうあるのか、その選択は私たちのこの手に委ねられているということなんだろうけれども。

時間という概念のない世界