本音で生きることについて、本音で生きているかどうか、本音で生きた方がいいのだろうか。ということを考えてみると人との関係においては、何でも本音だったらうまくいかないケースがほとんどではないだろうか。本音っていうのはつまりは自分の主観っていうことなんだろうと思う。いくら正しいことを言っているとしても、それはその人の主観であるように思う。人とのコミュニケーションにおいては相手の考えも、生き方も尊重して、そしてコミュニケーションをとらないとうまくはいかないと思う。

いろんな生き方があっていいと思う。いろんな考え方があっていいと思う。いろんな考え方があるのが自然だと思う。花は花でもいろんな花があるのと同じように。自分の考え方と違う場合は違う花が咲いているんだと。それはそれで尊重する。

私はこの人は私の本音を言ってもわかってくれそうだなと、理解できるのではないかという時は話すけれども、そうではない時は話さない。話してみないとわからないということもあるかもしれないけれども、ただ、普段のその相手の行動を見ていれば、おおよそ検討はつくのではないかと思っている。その人の考えがその人の行動をつくっているわけだからだ。

ただ、自分の考え方と違う人がいて、そしてその人が私の領域までふみこんでくるようであれば、行く道を遮ってくるようであればそこは戦わなければいけないと思う。

ただ、そうではない場合は、何も自分が行く道で別に何も無ければ、私と相手のちょうど折り合いがつくところでコミュニケーションをとっていくのがいいのではないかと思っている。

ただ、このようなブログだったり、私がつくっているものは別に本音でいいのではないかと思う。私がつくっているものだし、私がつくっている絵のようなもの、その個展をひらいているようなもの。そこは自由に描いていいような気がする。

本音で生きることについて