何かこう、テーマを決めて、そしてブログを、記事を書いていこうかな。FXを始めてからは3年がたとうとしている、そしてビジネスを始めてからは5年がたとうとしている。これからはこう、これまではどちらかというとというか、自分が書きたいことを書いていたというか、もちろんそれでいいんだけれども、プラスα、自分も楽しくて相手も楽しいような、そのような記事を書いていこうかなと。

例えば、”まったくの初心者がFXを始める際に必要な3つのこと”みたいな、自分がやってきたことやこれからやることについて、その経験から基づく記事を、それをまとめたいというような気持ちもあるし、それを見てくれた人にも役に立つような、そのような記事も書いていこうかなと。なんかこう、頭の中にあるものを出したいんだよね。やっぱり私は文章を書くことが好きなのかもしれない。

仮にお金のことをまったく考えず、有り余るお金があって、そして今何をしたいか?という問い。これは自分の本当に好きを発見するのに役に立つ可能性がある。私は何をしたいかというと、学んで、インプットして、そして文章を書いて、アウトプットして、ということをしたいかなと思うような気がする。そして芸術家が絵を書いて個展を開くように、その文章を個展のような形で人に見てもらいたいというように思う気がする。

何で見てもらいたいと思うんだろうな。別にお金をとる必要もないわけじゃん。お金を抜きにして考えているわけだから。それはやっぱり私は生きていると、ここに存在しているんだよと、認知してもらいたいのかもしれない。認めてもらいたいのかもしれない。承認欲求というやつなのかな。

でももともと存在している、生きている、それに価値があるんだよと、承認欲求というか、もう承認されているんだよと、そういうことならば、もう大丈夫なんだよと、そういうことならば、どうだろう。人に見せる形をとるのだろうか。それはとるかもしれない。それは、私と、外の世界をつなげるもののようなものだから。

例えばサッカーボールがあるからサッカーの試合ができたり、人が集ったりするわけで、私と人をつなげる道具が、私にとって文章というのはそのサッカーボールのように私と外の世界をつなぐ、私と人をつなぐ道具なのかもしれない。だからこうやって、インプットして、学んで、そしてアウトプットして、文章を書いて、記事を書いて、ブログを書いて、個展に絵を発表してと、そのようなことなのかもしれない。

なぜそれをするのか、それは私が生きているからということなのだろうか。生きているから息を吸う、それと同じように生きているから文章を書く、そのようなことなのかもしれない。そして、これは偽善かもしれない、本当かもしれない。私の考えが誰かの心に響き、そして世界が少しよりよくなれば、そう思っているかもしれない。

ただ、様々な考え方があって、その中の考え方の一つにすぎない。ただ本質は一つだと思っている。私の考えが本質をついているのだとすれば、それは多くの人々の心に響き、そして世界は少しよりよくなるかもしれない。これは偽善かもしれない、本当に思っているかもしれない、もしかしたらそのように思っているかもしれない。そして私はいつの日か、この世界から消える。それを理解している、わかっている。良い考えは私が消えたあとも生き続ける。私はそうやって、私が生きた証を残したいと思っているのかもしれない。

何で生きた証を残したいんだろう。別に生きた証なんか残さず消えればいい。まあそれはどっちでもいいのかもしれない。呼吸をするように、文章を書いて、そして消える。それでいいんだけれども、あわよくばみたいなところかな。それで世界が少しでもよりよくなったらいいかなと。私が生まれてきた以上、呼吸をするように、文章を書くということは生きるそのものなのだ。だからそれはそうで、そして、それでいつの日か消える。それでいい。

ただ、あわよくば、この世界が少しでもよりよくなればと思っているのかもしれない。まあそれはどっちでもいい。つまりは、私にとって文章を書くことは、つまりは生きることなのだ。

文章を書くということ